神を信じなさい
娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰 りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい(マルコ 5:34)。
これは、イエス様が、その着物の裾を触ることによって癒され た長血を患った女に語られたことば。彼女の信仰が彼女を癒し た。他にも、娘が悪霊につかれていたカナン人の女にも、エリ コでの盲人にも、ライ病にかかっていたサマリヤ人などにも、 イエス様は同じように、「あなたの信仰が…」と言われた。当 然、福音書に書かれていなくても、彼を通して、癒しや、何か の救いの業を受けた大勢の人々に、彼は同じことばを語られた はず。この「あなたの信仰があなたを直したのです」というこ とばから、私たちが、神様から、癒し、問題からの解放、必要 の満たしなど、何らかの祝福や、救いの業を受けるのが、私た ちにかかっており、神様にかかっているのではないことが分か る。この真理を知らないまま、環境に流されて生きるクリスチャンが多い。
確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によ って歩んでいます(2 コリント 5:7)。
聖書によれば、人には、二通りの歩み方があり、一つは「見る ところによって」、もう一つは、「信仰によって」歩む歩み 方。目に映る環境に動かされ、人の考えやことばによってすべ てを判断して歩む人は、たとえ聖書のことばの知識があって も、信仰がないか、薄い人で、神様の祝福を受けにくい。そう いう人は、口では、いくら「神様は良き神様」と言っていて も、実は、心の中で、神様は環境よりも弱い方、神のことばは 単なる気休めか、空想か理想のことばのように思い、人のこと ばや考えの方を信頼して生きている。そのような歩み方を選ん でいるのはあなた自身であって、すべてがあなたの信仰にかか っている。
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわ たしは言ったではありませんか(ヨハネ 11:40)。
神様は、死という目に見える環境を支配され、私たちに「生き よ」と言われた。イエス様は、水の上を歩いて、嵐を静められ た。どうしてクリスチャンが、天地創造の神と、王の王である キリストのことばを信頼しないで、見る所の環境と、死に縛ら れた人々のことばに流されて生きて良いだろうか。上の「もし あながた信じるなら…」ということばに注目すると良い。それ は、あなたにかかっている。神の栄光は、あなたの信仰による。
神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれ でも、この山に向かって、「動いて、海に入れ」と言っ て、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると 信じるなら、そのとおりになります(マルコ 11:22-23)。